御霊神社

御霊神社について

境内地にはタプ・クス・ケヤキ・モチ・ヒサカキ等多く三浦半島特有の暖地性植相性を呈し、続く背後の南向斜面の杉山(境外地)を含め森厳性翌かな神域である。

御祭神

大己黄命(オオナムチノミコト)
御霊命(ゴリヨウノミコト)

ご由緒

今より800 年余の昔(平安時代末治承の頃)長江太郎義景(鎌倉権五郎景政三世孫)は三浦氏(大介義明)の有力魔下として衣笠城掘手の要衡長江(現長柄)に館を構えた時、郷の平和と発展を希いその鎮護として祭神を勧請御霊神社を創設したと伝えられる。所蔵の棟札に「大日本相陽城小坂郡三浦長柄村鎮守御霊大明神云々山城国津々木郡藤原朝臣仙波右馬允伊宗代官永正十四年(1517 年)丁丑四月十六日企大永三年(1523-640 余年前)癸未季春二十八日御遷宮別当梵照」とあり、別の銘札には「文化十三年(1816 年)大仏師三橋永助御霊大権現を彩色し奉る」と誌され、また相模風土記稿に「御霊社。村の鎮守なり神体木像。長さ八寸本地仏薬師を置く。例祭九月朔日、社領三石の御朱印は天正十九年(1591 年)十一月賜う。長運寺持……」とあり古社であることがうかがえる。銘札の「文化年奉彩色」はこの御神体のことであり、社領三石の御朱印(将軍よりの拝領地でおよそ1350 平方メートル)は境内に続く東側にあった。

明治維新の神仏分離令により寺の管理は脱し、明治六年(1873 年)23 月村社列せられ大正五年(1916 年)8 月神餌幣吊供進神社の指定を受けた。戦後神社制度の改正により境内地は官有から社有となり、昭和28 年宗教法人として発足。神社本庁所属の神社となった(代表役員宮司小坂昌美外責任役員8 名)。現社殿(本殿・幣殿・拝殿の権現造瓦葺)は大正天皇御即位の大礼を記念し大正六年(1917 年)8 月に再建され、近時新掌の祭時七•五・三祝の祈請を併せ行うに及んで手狭となり昭和五十一年八月拝殿の一部増築となった。社務所は境内地に続く長柄会館階上に付設(和室二十八畳)されている。

礼和元年11 月末日 代表役員宮司 小阪 周坊